私たちは、今どこに立っているのか・・・
- 公開日
- 2015/07/08
- 更新日
- 2015/07/08
校長日記
時々、立ち止まって考えることがあります。
それが、私たちは、今どこに立っているのか・・・
「教育」は、「教」と「育」とで成り立っています。
「教」とは教えること。知識や技術は教えるべきです。
「育」とは育てること。例えば思考力、忍耐力、協調性、そして心と体。机上で教えるには限界があります。
「教育」とは、「教」と「育」のバランスが大切なのです。それを表現したのが、「生きる力」という言葉です。
上の図の意味を簡単に解説します。
「育」を左側に、「教」を右側に配置してみました。
「育」は、経験の中で獲得するものです。そこで、経験主義と言われています。
「教」は、先人の教えを系統的に伝達していきます。そこで、系統主義と言われています。
これまで、「育」にぶれたり、「教」にぶれたりを繰り返してきたのです。
寺子屋は、四書五経を暗唱します。これは、完全に「教」です。
明治時代も基本的にその流れの上にあります。
しかし、大正時代には、自由教育という、児童中心の考えが生まれました。「育」です。
それも、昭和に入ると軍事色が強まり、国家により統制され「教」に戻ります。
戦後は、戦前の反省から、デューイの経験主義論が教育の主流となりました。社会科も誕生しましたが、経験重視なので、時として「はい回る社会科」とも揶揄されたりもしました。
そのようなときに、昭和32年、ソ連が人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げ成功したのです。
アメリカの人工衛星は失敗しており、「経験主義ではだめだ。系統的に教えなければソ連に負けてしまう。」という考え方になりました。
宇宙開発=軍事技術であり、西側諸国にはショックが走りました。 それを、「スプートニク・ショック」といいます。
これにより、日本も大きな影響を受けました。
経験主義から、系統主義に軸が傾きました。
池田内閣の所得倍増計画もあり、産業界からは、均一の能力を持つ労働者の育成を求めたからです。それから、高度経済成長が始まります。
これは、詰め込み教育、受験地獄、落ちこぼれなどの言葉を生み出します。
「東大一直線」というマンガも登場しました。
いじめ・不登校、自殺、学校の荒れもありました。
その反省から、「ゆとり」「心の教育」へと軸が傾きます。
産業界の「週5日制」に、教育界も合わせました。学校5日制です。
勢いを得た経験主義の意見で生まれたのが、生活科であり、選択教科です。その結実が総合的な学習の時間なのです。
昨日の、マダイをさばく話と共通しますが、机上では学べないことが、経験することにより学べることがあるのです。
しかし、それに待ったをかけたのが、学力低下問題です。
PISA調査で、日本の順位が下がったのです。
あくまで相対的なものなのに、文部科学大臣が「確かな学力」といったり、さらには、全国状況学力調査の数字に一喜一憂する自治体まで表れます。
数値で測れるのは「教」の部分だけです。
「教育」の、一つの側面でしかありません。
新しい教育基本法でも、「基礎基本の習得と活用」と、両方大切だとはっきり言っています。
私たちは、今、「教」と「育」の間に立っています。
しかし、数値に表れやすい「教」にばかり注目が行くことを知っていなければなりません。
今日は、保護者会の2日目。
ぜひとも、「教」の部分と「育」の部分の両方の成長を認めてあげてください。