【校長日記】 江戸時代の「石(こく)」の意味は?−5−
- 公開日
- 2015/07/22
- 更新日
- 2015/07/22
校長日記
これまでに、「石(こく)」が、米をもとにした、容積や重さ、面積、通貨の単位のもとになっていることが分かりました。
ここからが本論です。
これをふまえて、武士の給料 について考えてみましょう。
幕府に仕える旗本や御家人は、大きく2通りの給与制でした。
一つは、知行(ちぎょう)取りで「石」で表示されます。
もう一つは、蔵米(くらまい)取りで「俵」で表示されました。
知行取りは主として旗本に、蔵米取りは主として御家人に対する支給方法です。
知行地を与えられた旗本は領主であり、一国一城の主です。
しかし、蔵米を与えられた旗本や御家人はサラリーマンです。知行取りとは家格は大きく違います。
「知行取り」は、一定の知行地(領地)を割り当てられ、そこから年貢を取り立てて俸禄にしました。
山内一豊(写真)は千代と結婚し、400石を与えられていましたが、この400石が知行地です。
これは、面積ではなく、400石の米が獲れる田(400反)を含む土地全体を指します。
知行取りは、その領地についての警察権・裁判権をもっていました。
また、領地から人夫を徴用でき、野菜や特産物に税をかけることが出来ました。
400石といっても、4公6民の場合は4割が年貢なので、160石(400俵)が実収入です。
ただし、領地を支配するには家来が必要となります。家来とその家族を養わないといけません。
また、米の収穫高は天候に左右され、また、知行所からの米の運搬費などの出費もありました。
これに対して「蔵米取り」は米の現物で支給されました。
蔵米取り400俵というと、その400俵を年3回に分けてもらっていました。
これで分かると思いますが、知行取り400石と蔵米取り400俵とでは、実収入が変わらないことが分かります。
ただ、豊作の場合は知行取の方が有利で、不作の場合は蔵米取りの方が有利でした。
実際には、これらに、扶持米という扶養手当みたいなものもつきました。
ただし、いずれにしても物価は上がり、米の価値は下がっていくので、これらの武士はだんだん貧乏になっていきます。
まとめると、「石」とは、米の容積であり、領地の広さを指すのです。
でも、まだあります。次回に続きます。