【校長日記】 江戸時代の「石(こく)」の意味は?−8−
- 公開日
- 2015/07/25
- 更新日
- 2015/07/25
校長日記
江戸時代の「石(こく)」シリーズ 最終回です。
「米」の量から始まったこのシリーズですが、いろいろな単位の基準になり、多くの尺度に使われていることがわかりました。
最後は、「家格」です。
【 家 格 】
大名家には家格があります。
石高、官位、徳川家との関係などを総合して決まります。
外様は、石高と家格が比例していたと言ってもよいでしょう。
石高の評価は、秀吉時代の「太閤検地」(写真)が基本となっています。
薩摩藩は、実際に米は30万石足らずしか獲れなかったのですが、太閤検地で60万石以上とされ、江戸幕府からは77万石と評価されてしまいます。
江戸幕府は、この石高で労役(御手伝普請)を割り当てるので、薩摩藩は大きな負担を強いられたわけです。
あの宝暦治水・千本松原を思い出しますね。
一方、他のほとんどの藩では、公の石高の評定(表高)よりも、実際の収穫高の方が何割も高いというのが普通でした。
秀吉の頃に比べて、米の生産性が高まったためです。
薩摩藩がなぜこれだけ高い評価を得たのか疑問ですが、黒糖など、米以外の収入もすでに織り込んでいたようです。
水戸藩も、薩摩藩同様、実高は表高を下回っていました。これは、徳川御三家の一つとして見栄を張ったためのようです。
ちなみに、尾張藩は表高55万石に対し実高は80万石超だったようです。
詳しくは、
http://homepage3.nifty.com/ksatake/index.htmlhttp://homepage3.nifty.com/ksatake/index.html をご覧ください。
「石」とは、米の容積、その米を生産できる領地の広さであり、兵力・財力・家格を表す、広義の概念なのです。
「○○石」の意味がわかりましたか?
以上で、このマニアックなシリーズは終了です。
お読みいただき、ありがとうございました。
太閤検地の写真出典は
http://tatsuo.gnk.cc/jk/rekishi/shizuoka/sh35_bakuhan_mura_seikatsu/sh35_bakuhan_mura_seikatsu.htm
あまりにも有名なので、もとは違うところですが・・・。
ところで、どうやって面積を測っているのか、この図からわかりますか?