学校日記

【校長日記】 色丹島訪問記 −7−

公開日
2015/07/25
更新日
2015/07/25

校長日記

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平成25年度 北方四島交流訪問事業(教育関係者・青少年)の報告7回目です。

色丹島へ行くために、国後島 へ立ち寄ることを前回お知らせしました。

国後島は、戦前は日本の北洋への重要な中継地でした。
水産業、畜産業、鉱工業など、国後全体で7000人以上の日本人が暮らしていました。沖縄本島よりやや大きな島です。

この古釜布港は不凍港です。冬でも凍らない港という意味です。これは、後々、大きなポイントになります。

船の上からのパノラマ写真とズーム写真とを並べてみました。
赤い矢印が同じ所を表しています。

写真上の矢印付近で、低地と高台に分かれます。
1994年(平成6年)10月4日22時22分に北海道根室半島沖約200kmを起点に起こった北海道東方沖地震 の爪痕が、この後いろいろなところで登場します。

低い建物の多くは水産加工工場
地震で津波の被害に遭い、それまで低地にあった住居は高台へ移転したのです。
役所や学校など主要な建物は、高台の上にあります。

震災後のまち作りは、東北で津波被害に遭ったまちの参考になるかもしれません。

昨年も来た人に聞くと、埠頭、舗装道路、ターミナルビル、学校、教会が、この1年間の間に建てられたそうです。
ロシア政府のクリム計画により、国後には大規模なインフラ整備が行われているのです。

写真中の赤い建物が、新しくつくられた学校です。

写真下には、舗装道路が見えます。
白い建物がターミナルビル
ターミナルビルの前に、昨日紹介した友好船が停まっています。
おそらく、ターミナルビルの中に、係官がいるのでしょう。

そのターミナルビルの上やや左手に金色のドームが見えるのがロシア正教会です。
ターミナルの右側に埠頭が続きます。 

これが国後島の現実なのです。