元号と干支は?
- 公開日
- 2017/08/23
- 更新日
- 2017/08/23
社会科お役立ち情報
夏休み中は、社会科に関係のある雑学を紹介しています。
今日は、小学生には少し難しいお話です。
中学生によく聞かれるのが
元号ってどうやって覚えるのですか?
干支って何のためにあるのですか?
確かに、赤穂浪士の討ち入りが元禄15年12月14日ということは言えるのですが、それは、西暦何年かは言えません。
黒船来航は、嘉永6年、1853年ですが、これは私の中では独立した知識で、「嘉永」が西暦と換算できるわけではありません。
まず、元号について考えてみましょう。
今は、「一世一元の制」を採っており、天皇が変わらない限り元号は変わりません。
しかし、明治より前は、「改元」といって、天皇在位中でも吉事や凶事があると変えていました。一代の天皇で6〜7回代わることはざらにありました。
後花園天皇は8種類の元号が使われました。
(資料参照)
革命や飢饉により改元したそうです。
元号を覚えるのは難しいですね。
昔の人は、むしろ、干支(えと)を活用 していました。
たとえば、江戸時代に人は「何年前」というのをどうやって計算したのでしょうか。
寛文5年に生まれて元禄13年になくなった徳川光圀は何歳でなくなった?
結論から言うと、ここで干支を用いたと思われます。
子、丑、寅、……の十二支と、甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、……の十干とセット。
ちなみに、甲子園は「甲子(きのえね)」という干支の年につくられました。
年賀状でおなじみの十二支はともかく、十干の方はあまり聞かれませんが、西暦が採用される前はとても便利でした。
たとえば今年の干支は「丁酉(ひのととり)」 です。
10年前の2007年は丁亥(ひのとい)、20年前の1997年は丁丑(ひのとうし)と、いずれも最初に十干の「丁」がつきます。
だから、「丁」のつく年なら、下一桁に7のがつく年とすぐに分かるのです。
丁未の乱(ていびのらん)は、仏教の扱いについて大臣・蘇我馬子と対立した大連・物部守屋が戦い、物部氏が滅ぼされた争乱です。
587年、下一桁が「7」です。
ここまでのことは、次のサイトを見るとわかりやすいと思います。
http://gyouseinet.la.coocan.jp/calendar/10kan12shi.htm
続きは明日・・・