大正10年の学校日誌
- 公開日
- 2018/09/02
- 更新日
- 2018/09/02
布袋の歴史
今日は、大正10年の学校日誌 を紹介します。
当時は、布袋尋常高等小学校という名前でした。
明治19年に、小学校が尋常小学校(修業年限 4年)と高等小学校の2段階となりました。
尋常小学校の4年間が義務教育です。
明治40年には、尋常小学校(義務教育)が6年間になります。
そして、明治41年(1908年)。
高等科を併設して、布袋尋常高等小学校 として、現在の場所に設置されました。
※ その前には、今の五明公民館あたりにあったと聞きました。詳しいことをご存じの方がいらっしゃったら情報をお寄せください。
したがって、布袋小学校は、現在の場所に移って今年で110年目になります。
布袋尋常高等小学校 4月1日の日誌を見てみましょう。
午前九時 入学式挙行
本日入学セシ児童数左ノ如し
尋常科 第一学年
男 七十六名
女 六十六名
高等科 第一学年
男 四十九名
女 十七名
始業式挙行
午前九時ヨリ丹羽郡高等女学校入学試験ヲ本校にて挙行
当時は、4月1日から入学式が始まったのですね。
また、高等科の女子の少なさも当時の状況を反映しています。
丹羽郡高等女学校は、今の尾北高校です。
しばらくして、本校講堂で丹羽郡高等女学校の入学式を行っています。
しかし、Wikipediaによると、丹羽郡高等女学校は大正11年設立になっています。
間違いでは?
児童数は、尋常科 872人、高等科を合わせると 983人の大きな学校でした。
校長は、体育前に胸像のある 伊藤鍵次郎 です。