【校長日記】建築物から歴史がわかる
- 公開日
- 2017/01/27
- 更新日
- 2017/01/27
校長日記
昨日は、社楽の会で、異業種の方から話を伺いました。
講師は、中商株式会社代表取締役 中嶋英貴さんです。
テーマは、「(建築)技術から歴史を学ぶ」
私は歴史が大好きで、暇があればYouTubeで歴史物の動画を見たり、本を読んだりしています。
しかし昨日の話は、これまでとは全く別の歴史観でした。
(M中学校のI校長先生が飛びつきそうな話題です。)
中嶋さんは、全国のいろいろな文化財の修繕をしています。特に、左官(建物の壁や床、土塀、竈など)が中心です。
これまで手がけた文化財は、日光東照宮や松本城、犬山城、彦根城といった国宝はじめ、広島城、熊本城、五稜郭、ハリスト教会、道後温泉、神戸 風見鶏の館、大石寺、総持寺など104箇所。
その文化財の修復は、使われている素材をある程度使って、当時の工法で建築当時を再現します。
例えば、土塀の土は、当時の土を7,8割使用して、新しい土を足します。
従って、工事前にいろいろと調査を行い、解体時にも、常にどこで産出された原材料かも調べながら進めます。
文化財ができた当時は、重機もトラックもありません。すべて人力、または牛馬車程度です。原材料は、その周囲から調達するのが一般的です。
特に城郭が乱立した戦国時代には、他国のものを使うわけにはいけません。尾張なら、尾張の国の中で調達できるものを使います。
従って、全国の文化財を解体すると、その地方、地形、文化、産業等に合った方法でつくられていることがわかるのです。
また、他の地方のが使われていることもあります。そこからは、交易が行われていたことがわかるのです。
だから、建築技術は歴史そのものなのです。
文書や学者の推測ではなく、建物は現にそこにあるのです。確たる歴史の証拠です。
地面を掘って、そこから歴史を推し量る考古学と同じ。いや、考古学以上に具体的です。
例えば、壁に塗る漆喰には、砂が混ざっています。その砂はどこで産出したものか?
LIXIL(旧INAX)に持っていくと、調べてくれるのです。14万円かかりますが・・・。
備中松山城は、標高430mの臥牛山頂上付近に建つ国の重要文化財で、現存する山城としては最も高い所にある天守です。
そこまで、毎日資材を運ぶためにどうしたか?
運搬用のロープウェーを作ったのですが、それだけでも2千万円かかりました。
松江城がどうして国宝に指定されたのか?
他のお寺の修復中に、偶然棟札(建物の建築・修築の記録・記念として、棟木・梁など建物内部の高所に取り付けた札)が見つかり、そのくぎ孔と松江城のくぎ孔との位置が一致したのです。そこで、松江城がいつ誰が作ったのかが正確にわかり、文化財としての価値が確定したのです。
などなど、普通では聞くことのできない裏話は特に興味深いものでした。
その他、伊能忠敬の家、五島列島の頭ケ島天主堂など、全国各所の建築・修復にあたった時の話が登場しました。
文献から得た知識からの推論ではなく、現物を解体することで歴史を見るという、貴重な体験談でした。