【校長日記】銀閣に銀箔を貼るつもりだったのか?
- 公開日
- 2017/05/10
- 更新日
- 2017/05/10
校長日記
足利義政は、銀閣、すなわち慈照寺の観音堂(銀閣)に銀箔を貼るつもりだったのか?
私は、かつて、「応仁の乱で財政難になり、貼りたくても貼れなくなった」と習いました。
その他、「銀箔を貼る予定であったが、その前に義政が他界してしまった」、「当初は銀で覆われていたが、剥がれ落ちてしまった」という説もありました。
今日もバスガイドさんとその話になり、「校長先生はどう思いますか?」と尋ねられました。
私の考えは、義政は、はじめから銀箔を貼る意思はなかったと思っています。
その理由は、
義政は8歳で将軍職に選ばれ、元服を迎えた文安6年に第8代将軍になり若すぎた将軍でした。故に、いろいろな介入を招き、政治が乱れていやになり、政権から離れていき、わび・さびの文化に没入していきました。そのセンスは東求堂や残された茶器を見ても、渋さを好み、とても銀色を好むとは思えません。
また、10年前の調査で、創建当時から銀箔が貼られていなかったことは立証されています
さらに、「義政が、銀が酸化して黒ずんだ色合いを求めた」という説も、他に類例がなく、無理があります。
そもそも、慈照寺観音殿が金閣と対比されて「銀閣」と呼ばれるようになったのは江戸時代以降のことです。
以上の理由から、義政ははじめから銀箔を貼るとは考えていなかったと思います。

