【社会科こぼれ話】江戸時代の「石(こく)」って何?−7−
- 公開日
- 2017/12/10
- 更新日
- 2017/12/10
社会科お役立ち情報
いよいよ核心に迫ります。
これまで、江戸時代の「石」について考えてきました。
「石」とは、米の容積であり、それだけの米の生産力を持つ領地の広さでしたね。
およその兵力もわかりました。
【 財 力 】
「石」は米の量なので、石高は財力も表します。
江戸中期には、米の仲介業者である札差が武士から買う米の値段は、1石1斗=1両でした。
前に1石=1両と書きましたが、この1斗分が手数料なのでしょうか。
(商人は、新田が開発され、米の収穫量が上がれば上がるほど儲かった ことがわかります。)
たとえば1万石の領地から得られる年貢米を5000石とすると、札差に売ると4500両。
今のお金に換算すると、1両=10万円として、4億5千万円です。
ここから諸経費を引いて、1%の動員兵力100人で割ると…。
半分が諸経費として 2億3千万円を100で割ると、230万円。
実際には、もっと多くの家臣を養っていたはずです。
また、年間230万円には、家族の生活費や下人の給料も含みます。
苦しい生活であったことが予想されます。
(武士は、新田が開発され、米の収穫量が上がれば上がるほど米価が下がり、生活が苦しくなりました )
ところで、紀伊国屋文左衛門が江戸城をも焼いた明暦の大火の時に、木曽の材木を買占めて一気におよそ百万両を手にしました。なんと1千億円です。
先ほどの計算式に当てはめると、222万石の大名に匹敵します。
下写真が明暦の大火(振袖火事)の焼失地です。これにより、江戸の町並みが変わりました。
出典 『明暦の大火』の火元の謎を追うhttp://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-119.html
これは、読み物としてもおもしろい内容です。