亡くなった人を悼む
- 公開日
- 2017/08/15
- 更新日
- 2017/08/15
校長日記
今、タイのバンコクに来ています。
一番驚いたのは、昨年10月に逝去されたプミポン王を追悼したこの写真のような施設が、今も至る所にあることです。
また、このような写真はなくても、黒と白の布で弔意を表している建物も数多くあります。
いわゆる喪に服す期間が長いのです。
毎日朝8時と夕方の6時には、公共施設や公園、テレビやラジオで国王を讃える国家が流れ、国民は直立不動になる国です。国民の国王に対する敬意がよくわかります。
さて、今日は終戦の日。
今朝の社説を読んでも、日本の慰霊の方法については意見が分かれています。
産経新聞は、「安倍晋三首相は第2次政権発足から1年を経た平成25年12月に(靖国神社に)参拝した後、参拝を控えている。」「参拝の再開を求めたい。」とあくまでも靖国神社が慰霊の施設であるとしています。
日本経済新聞は、靖国神社に対して「靖国と戦争指導者の間に一線を引く。そうすれば、周辺国との関係改善に資するし、何よりも遺族がわだかまりなく参拝できるようになる。」と、A級戦犯の合祀を問題にしています。
毎日新聞は、「国家は国民の共同体として存在する。国家意思は変わっても国民への責任は負い続ける。その国家が進めた戦争による犠牲者の追悼をめぐって、戦後日本は異なる流れをまとめられずに今日まできた。
国立の恒久施設のない現状では、この溝が埋められない。」
国立の慰霊・追悼施設の必要性を訴えます。
毎年のように繰り返される意見ですが、72年たっても、解決の糸口が見えません。
毎日新聞は次のように結んでいます。
「立場や事情を問わずに等しく追悼できる環境を整えることが、死者への責任の果たし方だろう。 」
タイに来て、それをより強く感じました。
下の写真は昨年の慰霊式のものです。