魚入神社 −1−
- 公開日
- 2019/04/06
- 更新日
- 2019/04/06
学校の歴史
このカテゴリーでは、草井小学校や草井地区、江南の歴史について考えています。
昨日は、天候に恵まれた中で入学式を行いました。入学式には桜が似合います。
学校の南にある小杁の魚入神社の桜も満開でした。
境内を歩くと、地域の皆さんにとても大切にされていると感じました。
実は、この魚入神社は、以前から気になっていました。なぜなら、おそらく、日本で唯一の神社名だからです。どうしてこの名になったのか?
さらに小杁の「oiri」と魚入の「uoiri」が似ていること。魚入神社の名から小杁になったと聞いたことがありますが・・・。
あるサイトに、次のように説明されています。
江南市小杁町八幡東に所在する魚入神社は、創建年代などの由緒は不明である。『尾張国神名帳』に記載される「魚入神社」に相当する神社とされる。『寛文村々覚書』によれば、小杁村に熊野権現と富士浅間と八幡があるといい、このうちの熊野社が明治4年(1871)に魚入神社であるとされた。その後明治末年に富士浅間社と八幡社が合祀され現在に至る。祭神は伊弉冊尊・応神天皇・木花咲耶姫命である。 やや曖昧です。
出典 https://banbeimani.exblog.jp/9522625/
また、尾張の神社に多い蕃塀があります。(写真下の下)
『くさの井史』には、次の記述があります。
P50 式内社も式外社も共に古代からの神社としては知られているが、(中略)村久野、小杁、鹿の子島の関係分を記してみると、次のようである。
1 尾張国神名帳
従三位 蘆入(いおり)天神 ・・・・小杁の鎮守
従三位 伊福利天神 従三位 宇夫須那天神 ・・・小杁の魚入神社に関係あり
式内社・式外社は西暦900年代にまとめられたものです。「天神」とは「あまつかみ」で、天神様とは関係ありません。
さらに次が続きます。
2 参考 尾張本国帳
従三位 魚入神社 天神 一本作 正四位下蘆入部(いおりべ)
ここにはすでに「魚入」の名があります。
推測ですが、「蘆入(いおり)」→「魚入(うおいり)」→「小杁」となった可能性を感じます。
それにしても、『くさの井史』はすごい。
明日に続きます。