第11回江南市立図書館読書感想文コンクール 優秀賞 「自分で終わらせない」
- 公開日
- 2020/11/22
- 更新日
- 2020/11/22
全校生徒
「疲れた、もう止めたい」「しんどい。歩きたいな」「残り何キロだろう」「これが終わったら楽だろうな」
これは、一,二年前の私。長距離を走るときにいつも考えていることだった。
しかし、最近は、何も考えず走ったり、前だけを見て「諦めない」「次に繋げる」という気持ちで走ったりすることが多くなった。それは、この一冊の本との出会いがきっかけとなった。
「走ることは好きか?答えはノーだ。」
「でも、駅伝は好きか?そうなると答えはイエスになる。」
私は、最初、この言葉の意味がよく理解できなかった。どちらにしても大変でしんどいことには変わりはないのに・・・。それに、駅伝なんて、もし自分が抜かされ順位が下がったら、周りからの視線が怖くなってしまう。できることなら、そんな責任の重いことはやりたくない。が、設楽の意見は私とは違った。
「任される。襷を繋いでいく。その感覚は好きだ。駅伝をしている時だけは、僕にも仲間と呼んでも許される存在がいるんだと思える。」
彼は、そう言ったのだ。設楽は、元いじめられっ子だ。ひとを信じたり仲間を大切に思ったりすることに憶病になっていても不思議ではない。その彼が、駅伝を通して「仲間」を感じていることに強く心を動かされ、自分自身の辛さばかりを考えていた私の悩みなど、とてもちっぽけに思え、なんだか情けない気持ちになった。
私は、辛いこと、うまくいかないことがあると、マイナスに考えることが多い。挙げ句に問題を解決する面倒くささから、変な言い訳をつけて諦める癖がある。この本は、そんな私に、すぐ諦めてマイナス方向に考えたり、言い訳をしたりしないで、「当たって砕けろ」の精神で挑戦してみることが大切なんだと教えてくれたような気がした。駅伝は、六人が襷を繋いでゴールを目指す競技だ。しかし、この中学校には長距離を走ることのできるメンバーは三人しかいない。そこで、キャプテンでもある桝井が駅伝メンバーを集めた。いかに駅伝に情熱を注いでいるのかがよくわかる。どうしても駅伝に出場して結果を残したい。その気持ちが彼を突き動かしたのだろう。同じ年齢の彼の行動力には驚いたし、自分にそこまで情熱を注げるものがあるのかという問いも生まれた。
しかし、その情熱は、彼を苦しめることにもなった。彼自身は非常に努力家であり、中学生活最後の駅伝に向けて練習をしすぎてしまい、スポーツ性貧血になってしまう。そのため、記録に伸び悩むことになる。
私も、中学二年生の時のことを思い出した。五月頃に覚えた足の違和感。気のせいかもとそのまま練習に打ち込んだ。ある日、その痛みに痺れも加わり、突然雷に打たれたような激痛が走った。病名は「シンスプリント」。痛みの初期の段階で手当てをしていたら重症化しなかったのだが、気のせいかもと痛みを我慢したせいで、結果的に全治するのに四か月を要した。仲間が部活で汗を流している間、自分は見学やストレッチ程度しかできず、大きく出遅れてしまった。桝井が貧血で結果を出せず悩む姿は、当時の自分の苦しさを思い出させる。だから桝井の気持ちが痛いほど分かった。アンカーを走ることをチームのために一度は諦めた彼が、最終的にチームのために自分が走ることを決めた。そこには仲間や先生のサポートや励ましに背中を押されたこともあるが、その時に仲間や先生が彼に任せようと思ったのは、今までの桝井の努力する姿があったからだと思う。困難や自分のできることを精一杯やる姿勢が、仲間からの信頼につながっているのだと感じた。
「アンカーは最終走者なんかじゃない。絶対に繋いでみせる。俺もみんなも次の場所へと。」
自分が極限状態にある中で、仲間との未来のために頑張ることができる桝井の姿に心を打たれた。私なら苦しい中で、到底そんなことは考えられない。しかし、絶対にあきらめないこと、理由はなんでも構わないから、次へ次へと少しでも先へ繋ぐ姿勢が大切なのだと気づかされた。
この本に出会って、私自身変わることができたと思う。前のようにすぐ諦めたり、言い訳をしたりすることが減ってきた。今、私たちは受験という大きな壁に向かっている。駅伝とは形は違うが、これも仲間と支え合って前に進んでいくことができると思っている。私は一人ではなく、仲間と一緒にいること、自分が仲間を大切にし、仲間も自分のことを感じてくれている・・・。そのことを信じることができるようになった。
これからも、仲間を感じながら、自分の目標に向かって最後まで走り切ろうと思う。