学校日記

尾張教育研究会総会記念講演会から

公開日
2014/05/07
更新日
2014/05/07

校長室から

今日は、金山で行われた、尾張教育研究会総会に参加してきました。
この研究会は、尾張部の様々な教育の推進を図り、教員の研究を深めることを目的としているものです。23の部局(各教科、道徳、特別活動、進路指導など)が、年間を通して研究会や講習会を開いたり、研究物を刊行したりし、研鑽を深めていきます。

今日は年度はじめということで、その総会が開催され、記念講演に、現愛知県教育委員で、元オリンピック体操選手である、笠松和永さんの講演を拝聴しました。

笠松和永さんは、1972年ミュンヘンオリンピックで団体金メダル、個人金・銀メダルを獲得した笠松茂さんと結婚された、旧姓羽生和永さんです。羽生和永さんと言えば、当時、体操選手としては初めて、10代でオリンピック(1968年メキシコ)に出場し、体操女子団体4位に貢献した体操選手です。

その笠松和永さんの講演は、終始にこやかにお話しをされるも、経験した者だからこそ語ることのできる内容は、今後の教育や子育てに参考になるものでした。
以下は、その講演内容の一部です。(文責・水谷)

・ 小学6年生から中学3年生まで、福井(武生)で朝刊の新聞配達をしていた。朝5時からの配達は、冬は雪が腰の高さまで積もることがあったり、自転車が川に落ちたりすることもあった。振り返れば、つらいことしか思い浮かばない。初めは「オルガンを購入する」ことが目標だったものの、購入後も続けることができ、結果、体力がつき、つらいことに負けない心を作ることができた。

・ 高校から下宿生活がスタートするが、今では考えられないようなスパルタな練習で、泣ける日々が続いた。休みは年に2回のみ。しかし、つらいと思わず、好きな体操だったから続けられた。毎日、真剣に励むことができた。

・ 高校時代、妹が水の事故で、突然亡くなった。体操に戻る力が無くなった。しかし、いつまでもクヨクヨしていてはいけないと、練習に戻った。

・ 体操教室を開くと、子どもを抱っこしながら、育児にコーチに励んだ。しかし、軌道に乗るも、ナショナル選手が相次いで移籍することになり、落ち込んだ。人間不審になることもあったが、父が「どれだけでも続けろ」と言うと、ついに2000年シドニーオリンピックに、教え子と息子が代表入りし、苦労が報われた。

…など。このほかにも、様々な苦労があったとのことでした。

笠松さんのお父さんは、「若いうちの苦労は買ってでもしろ」とよく言われていたそうで、その経験から、事実、若いうちは苦労を重ね、困難に打ち勝ちながら成長していくのだと思う、と話されていました。
現在、体操クラブでは「心と体をより鍛えていくこと」を目標にがんばってみえるそうです。体操を指導することで、「我慢強い子、考えながら動く子」を育てたいとのことでした。私たちの指導や子育ても、大切にしたい部分だと思いました。