古北小 歴史訪問 番外編 ボランティアの早川さんに教えていただきました。
- 公開日
- 2025/03/15
- 更新日
- 2025/03/15
校長室から
ボランティアとして来ていただいている早川さんより、古北小 歴史訪問で記事にしたいくつかの疑問について、航空写真(写真掲載)をもとに教えていただきました。
その一部を紹介します。
《質問》
校歌碑建立当時の写真と、現在を比べてみると、校歌碑の背景や校歌碑の土台に違いが見られます。おそらく場所を移し替えたものと思われます。ご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひ学校まで情報をお寄せください。
【回答】
当時は、航空写真②の位置にありました。校歌碑建立当時の写真の背景に灯篭が写っているのは、現在の古北山の隣にある神社の灯篭です。その後、現在の位置にしたのです。
《質問》
校門完成当時の写真に写っている外の生い茂ったものは何ですか?
【回答】
昭和初期は校門出たところは桑畑であったそうです。当時は養蚕が盛んでした。航空写真③の校門出たところの建物(道を挟んで2棟)は農協でした。現在は、1棟が農協です。
他にも教えていただきましたので、一部を紹介します。
・航空写真①の建物は給食室です。
・航空写真②あたりに二宮金次郎像や奉安庫がありましたが、航空写真⑦のあたりに移設しました。
・航空写真④あたりに相撲場がありましたが、伊勢湾台風の時に相撲場の屋根が壊れてしまいました。また、④のあたりに井戸があり、そこから水を汲んでいました。
・航空写真⑤あたりに古北保育園に行くことができる通用門がありました。昭和30年代ごろ、(早川さんよりも下の)子たちは、⑤のあたりにタイムカプセルを埋めていたそうです。
・航空写真⑥の建物は図書室でした。その前は、古北保育園ができるまでは、⑥に保育園がありました。など
早川さん、本校にまつわる様々な歴史について教えていただき、ありがとうございました。
次回は、古北小 歴史訪問④「昭和初期『地域とともにある学校』」です。