2015.3.14 人はなぜ走るのか
- 公開日
- 2016/03/14
- 更新日
- 2016/03/14
校長室から
今日は、昨日の本校HPで「名古屋シティマラソン」の様子を見ていてくださった、何人かの先生や保護者の方から「昨日はお疲れ様でした」「シーズンベストおめでとうございます」と声をかけていただきました。うれしく、ありがたいことです。
ちょうど、昨日(3/13)付の中日新聞の社説には「人はなぜ走るのか」という見出しで、心に残る記述がされていたので、ここにその一部を引用させていただきます。
マラソンブームです。でも人はなぜ走るのでしょう。苦しいはずなのに、です。今やマラソンは、楽しみながら走るスポーツへと変貌しているようです。
(中略)
何よりもランナーにとって走ることとは、自分の心を動かすことなのです。そのために挑戦を続ける人は数多くいます。
先月開催の東京マラソンは、参加者の96%にあたる三万四千六百七十七人が完走した。ゴール後、沿道で応援していた家族と落ち合って笑顔で帰宅の途に就く参加者から多く聞かれたのは、このような言葉でした。
「途中で足が痛くなって何度もあきらめようと思ったが、もう少し頑張ろう、もう少し先まで行こうと思って完走できた」
人は苦しい時や悲しい時に、心が動かなくなることがあります。前進しなければいけないと思っていても、その一歩がどうしても踏み出せない状態です。
走るのをやめようとした時でも、心を動かして足を進めた経験。それは途中棄権することができない人生において、何にも替え難い自信や達成感をもたらすのではないでしょうか。
マラソンと人生はもちろん違います。マラソンはコースが決められ、全員が同じゴールを目指します。しかし人生にはさまざまな分岐点があり、百人いれば百通りのコースとゴールがあります。
ただ、箱根駅伝を二連覇し、先月の東京マラソンでは出場した選手が日本人の二、三位に入るなど大躍進する青山学院大陸上部の原晋(すすむ)監督は、夢や目標を持つことの大切さを次のように説いています。
「夢が目標に、目標が課題に、そして課題が日課となって毎日の生活のなかに組みこまれていく。こうした環境に置かれた人間が、強くならないはずがありません」
トップランナーではなくても、それぞれが「完走したい」「五時間を切りたい」など自分なりの目標を立てていることでしょう。その目標に向けてスタートから飛ばすも良し、前半は体力を温存して終盤に勝負をかけるも良し。「時」は止めたり戻したりすることはできないが、その時間をどのように使うかは自分次第です。
最終ゴールはもっと先
そして新たな課題を見つけ、次の目標に向けてまた駆け出せばいいのです。マラソンも人生も、もちろん「きょう」が最終ゴールではない。明日に向かって、楽しみながら走っていこうではありませんか。
本文中にある、「マラソンと人生はもちろん違います」のくだりと反するのですが、「人生はマラソンだ」と例える人がみえます。個人的には「そうだな」と思います。長い道のりを、自分の足でしっかりと進んでいく。時にはゆっくりでも前に進む。その積み重ねが長い長い距離(人生)を踏破することにつながるのです。一瞬で駆け抜ける100m走ではないのです。
自分も、走り始めた動機は「健康維持」「体型維持」でした。けっして速く走れるわけではないですが、走り続けることで、今では、健康面以外でもプラスになっていることを感じます。
ということで、これからも、継続していきたいと思います。そして、原監督の言うように、メンタルの部分で、少しでも「強く」なれたらいいな、と思います。