学校日記

2016.8.7 子ども代表「平和への誓い」

公開日
2016/08/07
更新日
2016/08/07

校長室から

昨日、リオデジャネイロオリンピックの開会式が行われている同じ時間に、ちょうどリオデジャネイロから地球の裏側に当たる広島では、「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が営まれていたのはご存じの通り。

その中で、小学生の二人が「平和への誓い」を読み上げました。
その中の一人の中奥さんは、自宅近くで「世界がヒロシマを忘れたとき、再びあの日は繰り返される」と書かれた小さな慰霊碑を見つけたそうです。
原爆が投下されてから71年。語り部も、一人、また一人と少なくなっています。やがて、それらの人が全ていなくなってしまったとき、ヒロシマやナガサキは、忘れ去られてしまわないか、心配をします。

以下に「平和への誓い」の全文を掲載します。「私たちは、待っているだけではいけないのです。」から続く結びの言葉が印象的です。
二度と、核兵器が使われない世界が続くことを願いたいところです。



 「人が焼けるにおいがした」「ある者は、肌が溶けて人間には見えんかった」
 原子爆弾が落とされた広島の様子を、語り部の方は語ってくれました。
 思い出したくない、胸が張り裂けそうだ。
 被爆された人の辛(つら)さは、いつまでも、いつまでも終わることはありません。
 被爆者の思いや被爆の事実を自らの体験のように、想像するのです。
 聞きたくても、聞くことができなくなる日が近づいています。
 一瞬で街がつぶれ、日常や夢を踏みにじられた
 昭和20年(1945年)8月6日 午前8時15分の出来事を、
 私たちは、もっと、知りたいのです。もっと、伝えたいのです。
 悲しみや苦しみを乗り越えた人々の努力によって、
 広島は青く澄んだ空の下、色とりどりの花が咲く街に復興しました。
 この広島に、今年も、世界各地から、多くの人が訪れています。
 あの日の事実を知るために、平和記念公園を巡り、平和記念資料館を見学し、
 語り部の方の話を聴き、原子爆弾の恐ろしさを実感しています。
 そして、「あの日の出来事を伝える」と約束してくれた人たち、
 平和の広がりを感じました。
 私たちは、待っているだけではいけないのです。誰が、平和な世界にするのでしょうか。
 夢や希望にあふれた未来は、ぼくたち、わたしたち、一人一人が創るのです。
 私たちには、被爆者から託された声を伝える責任があるのです。
 一人一人が、自分の言葉で、丁寧に、
 戦争を知らない人へ 次の世代へ 世界の人々へ
 命の尊さを 平和への願いを 私たちが語り伝えていきます。

 平成28年(2016年)8月6日
  子ども代表
   広島市立竹屋小学校6年 中奥垂穂(なかおくたりほ)
   広島市立亀山小学校6年 青木優太(あおきゆうた)