学校日記

2017.11.5 津波防災の日

公開日
2017/11/05
更新日
2017/11/05

校長室から

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今日、11月5日は、「津波防災の日」であり、「世界津波の日」でもあります。
これは、1854年11月5日に和歌山県で起きた大津波の際、村人が自らの収穫した稲むらに火をつけながら村民に危険を知らせると、いち早く避難させ、多くの命を救ったという逸話「稲むらの火」に由来しています。
 
そんな今日は、福島県のローカル紙である、福島民報のコラム「あぶくま抄」に関連したことが書かれていました。



 その日、南相馬市鹿島区はよく晴れていた。強い風にあおられ、舞い上がった砂ぼこりで辺りはかすんでいた。2011(平成23)年3月中旬。震災の発生から1週間ほどが過ぎていた。
 砂ぼこりの向こうに人影が浮かんだ。跡形もなくなった家の前に母親と幼い子ども2人の姿があった。どれほどの時間が流れただろう。ただ立ち尽くす。母親は胸の前で手を組み、うなだれていた。幼い子どもたちは状況をのみ込めていないのか。不思議そうな顔で母親を見上げている。
 「あれは波ではありません。黒々として、何というか、地球の重さ全体がのし掛かってくるような感じで…」。母親はとつとつと声を絞り出した。針金のようにぐにゃりと曲がった太い鉄骨、かさぶたがはがれたようにめくれ上がった道路のアスファルト。人知を超えた自然の猛威は恐ろしく、憎々しかった。
 きょう、制定から7度目となる「津波防災の日」を迎える。復興の歩みは力強さを増し、県内沿岸部の被害の爪痕も次第に癒えつつある。自然への畏怖心、あらがえない無念さとともに備えの大切さも胸に刻む。犠牲となった人々に思いを寄せ、「精いっぱい生きる」と誓う日でもある。


東日本大震災の後に、釜石市に立てられた石碑には、地元の子どもたちの言葉が刻まれていますが、中には「100回逃げて、100回来なくても 101回目も必ず逃げて!」という、印象に残る言葉があります。自らの命を守るのに「大丈夫だろう」は、ないことを経験した人は語っています。後世に伝え続け、風化させてはいけないことです。

私たちが住む江南市には、大地震が発生したとしても、津波による直接的な被害は大きくないことが予想されています。しかし、この地方にも、いつ大きな地震が発生するか分かりません。この機会に、家族などで、防災について考えてみるのもいいことでしょう。

なお、サイト「稲むらの火」を見ると、1937年から国語の教科書に採用された話をそのまま読むことができます。まだこのお話をご存じでない方は、ぜひ、ご覧になってはいかがでしょうか(※以下をクリック↓)。
稲むらの火

(※上記のコラムは以下をクリック↓)
あせない思い(11月5日)|福島民報(コラムあぶくま抄)