2018.2.9 「待つ」という教育
- 公開日
- 2018/02/09
- 更新日
- 2018/02/09
校長室から
道徳的な話が綴られていながら、20ページ程度の小冊子は手軽に読めるため、毎月読んでいる月刊誌のニューモラル。
その582号の裏表紙に、上記のような言葉が「今月の言葉」として取り上げられていました。
いかに、引用し、掲載させていただきます。
私たちは一つの考え方に縛られやすく、「こうであればいいな」という程度だった気持ちも、やがて「こうでなければならない」に変わってしまうことがあります。そうした考え方が、悩みや挫折の原因になるのでしょう。
子育てにおいても、親が「こうでなければ」と考えて指示を与えすぎるのではなく、子供が自分で考えて行動していけるよう、「待つ」という姿勢を大切にしたいものです。「考える力が」育てば、知識や経験を組み合わせて柔軟に考え、悩みを解決していけるようになるのではないでしょうか。
家庭の子育て同様に、学校教育でも、この「さじ加減」が大切だと言われます。私自身、若いときは、なかなか待てず、すぐに指示を出したり、結果を求めたりしたものでした。年齢を重ねる毎に、少しずつ「待つ」ことができるようになったかと思います(が、まだどちらかと言えば、せっかちかも…!?)。
ところで、古北っ子は、指示されたことや与えられたことに対して、確実に実行できます。本当に心穏やかで、素直な子がたくさんいます。
しかし、時々、「考えさせる」「自分たちで創り出す」ことを求めると、思うように思考やアイデアが出ないときがあります。創造的なことを生み出す力が、やや弱いように思うのです。
こうしたとき、「待つ」とうい教育を重ねることで、必要な力がつくように思います。決して多すぎることのない適度な助言から、友達同士で関わり合いながら、自分たちの力で何かを生み出すことで、この先、生きていく上で大切な力がつくように思うのです。
根気のいる「待つ」という行為ですが、学校でも家庭でも、大人が意識して大切にしていかないいけないな、と改めて思うのでした。