学校日記

2018.2.15 4年間の挑戦

公開日
2018/02/15
更新日
2018/02/15

校長室から

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早くも、まもなく、折り返しに近づきつつある、平昌オリンピック。金メダルこそ、まだ獲得できていない日本ですが(2/15正午現在)、銀メダル、銅メダルのメダルラッシュや、数々のすばらしいパフォーマンスや好記録に日本中が沸いています。

そんな中、スキージャンプ女子で、4年前の雪辱を果たした、高梨沙羅選手の銅メダルは、最も沸いたメダル獲得の瞬間の一つでした。

そんな、高梨選手のことを記した、高梨選手の出身地である北海道のローカル新聞である「北海道新聞」の2/14付のコラム卓上四季」に興味深いことが書かれていたので、引用・掲載させていただきます。



 スキーのジャンプ台はノーマルヒルの場合、100メートルほどの高さからスタートする。ジェットコースターを急降下するように助走路を滑り降り、最高速度は時速約80キロに及ぶ。猛スピードの中、ジャンプ台の先端で正確なタイミングをつかんで踏み切らなければならない▼少しでもずれると台からの反発力をうまく受けられず、飛距離が伸びない。前回のソチ冬季五輪で、高梨沙羅選手は踏み切りのタイミングが少しだけ遅れたという。時間にしてわずか100分の1秒。だが、そのわずかなずれが影響して4位にとどまった▼それからの4年間は踏み切りの100分の1秒を修正するためにあったと言っていい。「ソチの後、ずっと悔しい思いをバネに練習してきた」と振り返った言葉からは、固い決意と集中力が読み取れる▼ソチで敗れた際、互いに切磋琢磨してきた伊藤有希選手と「4年後、また一緒に五輪に出よう」と誓い合った。約束があったからこそ、強い気持ちをずっと持ち続けることができたと感謝する▼今回の平昌で手にしたのは銅メダルだった。金が欲しかっただろう。悔しくないはずはあるまい。けれど、メダルが決まり涙を流した高梨選手の顔は、重圧から解放された安堵感と喜びにあふれていた。本当におめでとう▼「ソチの自分には勝てた。次に向けて頑張りたい」。さらに輝く色のメダルを求め、新たな挑戦が始まる。


「4年間は踏み切りの100分の1秒を修正するためにあったと言っていい」という下りが印象的です。そのために、4年間を費やしてきたというのですから、並大抵な気持ちや姿勢では、練習に打ち込むことができないでしょう。しかし、やりきったからこそ、順位が一つあがったのです。そんな高梨選手に大きな拍手をおくりたいところです。

そして私たちは、多くの選手の華やかな結果にたどり着くための努力の過程を、ほんの一部しか知らないように思います。選手の皆さんの、その何十倍、何百倍もの取組に敬意を表し、これからの活躍を願うばかりです。

そして、そんな姿勢の数%でも、自分に取り入れることができれば、古北っ子も大きく成長していくことでしょう。

今日の授業参観の4年生の「10才になって」の将来の夢を語る場面では、特に、そんなことを思ったのでした。古北っ子も、「4年後」ならず、「10年後」を見据えて、がんばっていきましょうね!

※写真:tpower1978(GATAGより)