【校長日記】 校区の史跡 宝頂山墓地
- 公開日
- 2015/10/08
- 更新日
- 2015/10/08
今日の布袋小
今朝の宝頂山墓地の様子です。
コスモスに囲まれて、五輪塔の頭部が浮かび上がって見えました。
宝頂山墓地一帯は、生駒屋敷の東端に位置します。
柳街道を挟むので、敷地外だったのかもしれません。
生駒家五代当主利豊の隠居所で、この付近に住んでいたと伝えられています。
利豊は、吉乃の兄、家長の五男です。
幼い時より豊臣秀次に仕え、小田原の役に16歳で従軍。後に豊臣秀吉に仕えました。
関ヶ原の戦いでは福島正則の陣に属し、その後、松平忠吉(家康の四男。清洲藩主)に仕えました。松平忠吉が亡くなると、尾張藩主となる家康の九男徳川義直に仕えたのです。
以後、子孫は尾張藩士として幕末まで続いたのです。
写真の五輪塔が家長夫婦の墓。身分の高い階級の墓碑です。
家型の墓が、利豊夫婦の墓です。
言い伝えによりますと、利豊は年老いてから生きながらにして成仏したいと願い、その日を誕生日と決めて断食し、水を呑むだけの生活に入ったが望みはかなえられず、とうとう当時としては驚異的な96歳まで生きました。
生駒屋敷歴史文庫 http://www.ikoma-yashiki.com/