蚕業試験場の正門の位置を教えていただきました
- 公開日
- 2016/07/01
- 更新日
- 2017/07/03
布袋の歴史
昨日、「蚕業試験場の正門の位置を教えてください」と書いたら、さっそく4年生の子が教えてくれました。
ありがとうございました。そのお話しによると・・・。
その子の曾祖父は、その愛知県蚕業試験場の八代目場長 苅谷永一さんだったそうです。
『江南市史』によれば、苅谷永一さんは、昭和30年から37年まで場長を務められていました。
この地図の正門の前の道は乾町で、本町に突き当たると、かつては郵便局や税務署があり、近くには丹羽郡役所、布袋警察署、地方裁判所と、まさに官庁街でした。
乾町はいわゆる主要道路で、バスが通っていたそうです。
蚕業試験場には、外国からの賓客も多く、その子のおばあさんは、チョコレートなどをもらっていたそうです。
本物の話は、リアリティがあります。
ちなみに、祖先をたどると、前野将右衛門長康の従兄弟(甥かも?)、野田清助だそうです。
野田清助は『武功夜話』に度々登場する人で、秀次事件の時、前野長康の介錯も務め、長康たちの遺品を持って前野村に帰ってきた人です。
そして、長康を弔うために草庵を営んだのが観音寺の始まりといわれています。
歴史は広がっていきますね。
貴重なお話し、ありがとうございました。