学校日記

防災を考える1

公開日
2013/06/06
更新日
2013/06/06

その他

 6月15日の、教育講演会で「東日本大震災から学ぶ」というお話を聞きます。そこで、この大震災の様子や被災した方々の悲しみ、つらさが子ども達につたわるよう、朝礼や給食の時間に、被災地の子ども達の作文集「つなみ」という本から毎日作文を紹介しています。これから、ホームページでもしばらくの間紹介していきます。
 
  「いっしゅんのできごと」
     釜石市 小学校 4年生  黒澤海斗くん
 3月11日、14時46分、東日本大震災が発生した。
 いっしゅんにして、多くの物と命をのみこんだ。ぼくの家も学校も町も・・・
近所の、とてもぼくをかわいがってくれた、おじいちゃん、おばあちゃん達の命も、そして、おにいちゃんとも会えなくなった。
 その後、何日も大きなよしんが続き、なかなかねむれなかった。ふとんの代わりに、ダンボールと新聞紙を使った。食べ物は、せんべいやかんづめを、2,3人で一つと、おなかがいっぱいになるものではなかったが、その時は、こわさで、くうふくも忘れ、それでも多く感じた。水もでなくて、電気は、じか発電を使うため、夜になっても、体育館の中に電気は二カ所だけ、着替えもなく、おふろにも入れなかった。このころぼくたちは、旧釜石第一中学校にいた。
 約一週間たって、ぼくたちは、甲子小学校にうつった。電気はつくし、水も流れていた.テレビもみれるようになった。うれしいはずのテレビも、震災のことばかりで、3月11日のあの日を思い出し、こわくてみることができなかった。
 あの震災から二ヶ月がすぎ、いろいろなことを感じ、そして、生きていられる命の大切さを学んだ。
 ぼくから、大切な物をうばっていった津波がにくくてたまらない。けれど、この震災でたくさんの人に出会うことができた。そして、たくさんの人に助けてもらった。自衛隊の人、警察の人、市役所の人、ほうどうの人、ボランティア・・・“ありがとうございます”と何回いってもたりないくらい。
 これから宮古市で生活することになった。転校してしまうけれど、この震災でいろいろな人に出会い、勇気をもらったから、どこでも、しっかり生きていけると思う。そして、大きくなって、大人になったとき、人を助けることのできる、りっぱな大人になり、お世話になった人達に、りっぱになったぼくのすがたを見せたいと思います。
 最後に、助けてくれた、たくさんの人達に「お世話になったこと一生忘れません。本当に、ありがとうございました。」