学校日記

宮田の二ツ杁について

公開日
2026/06/30
更新日
2026/06/30

全校

郷土史を研究されていらっしゃる地域の方より貴重なお話を伺うことができましたので、紹介させていただきます。

宮田小学校下に約400年前の史跡が有りますがご存知でしようか?江南市宮田町は、木曽川の左岸にあり一宮市との市境に位置する町である。宮川町堤防沿いを歩くと、市境辺りに『宮田西閘門(みやたにしこうもん)』と彫られた石柱をみることができる。この場所にはかつて、木曽川から水を取り込むための「杁(いり)」が設けられここを経て流れる大江用水・新般若用水はヽ 長年の間、尾張西部域の田畑を潤してきた。元々は、徳川家康による『御囲堤(おかこいづつみ)』の築堤により扇状地を流れる水路が遮断されたため、ここより1.5kmほど下流の大野村 (一宮市浅井町大野) に大野杁が設けられたのが始ま りである。

 その後、大野杁が土砂の堆積な どで取水困難になり、1628 年 (寛永 5 年) に宮田村(江南市宮田町) に杁が新たに設けられた。杁は当初は西杁だけであったが、1642年 (寛永 19 年) に東杁も設置され【宮田の二ツ杁】 と呼ぱれた。 豊富な水資源を もたらす宮田の杁を、尾張藩主徳川義直が「民の乳房」と称したとも伝えられて、今日まで来ています。