魚入神社 −3−
- 公開日
- 2019/04/15
- 更新日
- 2019/04/15
学校の歴史
このカテゴリーでは、草井小学校や草井地区、江南の歴史について考えていきます。
先日は小杁の魚入神社を取り上げました。『くさの井史』を読んでいたら、さらに詳しい記述がありました。
P15より引用します。
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小杁にある村社魚入神社は「尾張本国帳」にいう葉栗郡従三位魚入天神、延喜式外の魚入神社の由緒をもつとしており、津田正生の「尾張国地名考」では魚入(うおいり)は庵入(いをいり)の転じたるものとして、庵入姫に由来するという。
また、尾張大海媛の孫で八坂入姫の腹に生まれた五百木姫の音が変化して、庵入姫となったもので、景行天皇の娘なりと「尾張誌」では見ている。
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「五百木」はいおきと読み、いをいり(庵入)と転じたことも十分考えられます。
「尾張誌」は、天保15年(1844年)に序のある近世後期のもので、愛知県図書館にある写本では丹羽郡だけでも、巻之三十六から巻之四十まで、260ページあります。
ここから https://websv.aichi-pref-library.jp/wahon/detail/32.html 機会があれば後日紹介します。