学校日記

2015.1.16 阪神淡路大震災から20年

公開日
2015/01/16
更新日
2015/01/16

校長室から

明日は、1995年(平成7年)1月17日(火)午前5時46分に、明石海峡を震源として発生した「阪神淡路大震災」から、20年の日です。 

その日は、私も大きな揺れで目が覚めました。名古屋は震度3、岐阜が震度4ですから、かなりの揺れです。すぐにテレビをつけると、地震の速報のニュースが流れていましたが、詳細は伝わりませんでした。朝の部活動のため、6時30分頃に家を出て、カーラジオから流れてくるニュースで、被害状況が明らかになるにつれ、「これは大変な地震だ!」と思ったものです。学校(当時は江南北部中に勤務)に着き、テレビをつけると、火の手が広がる映像と、激しく倒壊した街の様子が目に飛び込んできました。
地震は、6,434人もの命を奪う、戦後最大規模の被害となった地震となりました(後の2011年に、さらに被害が大きい東日本大震災が発生)。

阪神淡路大震災が発生した年に生まれた赤ちゃんは、今年、成人式を迎えました。
1月13日付の中日新聞に、兵庫の新成人の言葉が掲載されていましたが、どれも考えさせられるものばかりでした。以下にその一部を紹介します。

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・震災当日はまだ母のおなかの中にいて、父が倒れた家具から母を守ってくれたおかげで生まれてこられた。親に感謝して恩返ししたい。生まれてよかった。
・あの朝、アパートが崩れたけど、父が覆いかぶさってくれたから今、生きている。十年ほど前、父はなくなってしまったけど、その後は母と祖母が大切に育ててくれた。
・生まれた直後に過ごした祖母宅を離れ、自宅に戻った二日後に地震があり、祖母は家屋の倒壊で亡くなった。おばあちゃんが私を震災から助けてくれたんだと思う。おばあちゃん、これからも見守ってね。
・いつも寝ていた幼児用ベッドにテレビが落ちたけど、その日に限って偶然、おかんが自分のベッドに僕を移していて無事だった。おかん、守ってくれてありがとう。

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被災地に限らず、その当時生きていた人の数だけドラマがあります。特に、亡くなった人の中には、亡くすことを防げなかった命と、防げた命があるでしょう。「亡くすことを防げた命」に関わっている人は、特に、苦しい思いをしているに違いありません。「備えあれば憂いなし」ということばがあります。この地域にもいつ起こるか分からない大地震です。過去の大地震を教訓に、私たちにできる備えをしていきましょう。