学校日記

2015.5.21 自らの言葉で表現できる

公開日
2015/05/21
更新日
2015/05/21

校長室から

授業を見ていると、感心する場面があります。それは、自分の思いを単語ではなく、文章で伝えることができる児童が多いと言うこと。とある国語の授業で、

「僕は○○だと思います。××さんは、□□と言っていたけど、○行目に『◇◇』という言葉があるので、○○だと思います。」

こんな場面を見かけます。この一つの発言には、複数の着目する点があります。
まず「結論を先に述べている」ということ。聴き手がすぐに自分の考えと比較できます。そして、理由があれば「その理由を聴いてみよう」となります。

次に「級友の意見を持ち出している」ということ。名前を出された聴き手は「よく聴いてくれているな」という安心感につながります。そして、それぞれの意見は、自分の思考とどこまで同じなのか、どこから違うのか、きちんと聴くことで、思考が整理できます。「そうか、同じだけど少し違うぞ」「そういう考え方があるのか」となります。

さらに「根拠が具体的である」ということ。「何となく」ではありません。『◇◇という言葉が…』と言われれば、なるほど、となります。

大人が仕事で会話をする上で、上記のことは、当たり前と言えば当たり前ですが、こういうやりとりができない子どもが増えていると言われて久しいです。

本校では、「自分の言語で表現できる児童の育成」を目標に掲げています。学校の授業は「私的なやりとり」ではなく「公的なやりとり」です。単語で発言するのではなく、「〜です」「〜と思います」と語尾までしっかりつけて発言することは最低限の型で、できる限りの自分の言葉で発言します。

そして、必要に応じて、写真のように、図に書き込みをしたり(社会の授業。電子黒板に書き込みができる)、資料から説明したりして、根拠を述べたり、主張したりします。こういう発言をしていると、話し手は、中途半端なことは言えないですし、聴き手も「聴こう」という気持ちになりますね。

家庭での古北っ子との会話も、場合によっては「どういうこと?」「なぜそうなったの?」と会話を引っ張る「つなぎの言葉」を付け足していただけると、「話す力」・「聞く力」の基礎を伸ばすことができると思います。