2016.11.6 稲むらの火がもとに
- 公開日
- 2016/11/06
- 更新日
- 2016/11/06
校長室から
昨日の11月5日は、「世界津波の日」として第1回目の日となりました。
その経緯や、まつわる話は、様々なメディアに取り上げられていましたが、以下に、昨日(11/5)付の静岡新聞のコラム「大自在」の記事を掲載・引用させていただきます。
▼海岸沿いの平野部に広がる田畑や温室、家々が大津波にあっという間にのみ込まれていく。津波は既に真っ黒な濁流と化していた。すさまじい破壊の様子を伝える上空のテレビ中継から聞こえてくるのはアナウンサーの声だけ▼進行形で淡々と流れる映像に恐怖心が募った覚えがある。その東日本大震災翌日、本欄で「稲むらの火」を取り上げた。江戸時代の安政南海地震(1854年)で、紀伊半島などが大津波に襲われた際、村民を津波から救った実話だ▼紀州広村(現和歌山県広川町)で、海の異変を察知した豪商浜口梧陵は刈り取った稲に火をつけた。村民は高台にある長者の家が大変だ、と一斉に上っていく。村民が高台から海を見下ろすと、一本の線が見え、それは見る間に厚みを増していった。大津波だった▼後年、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は梧陵の実話にヒントを得て「生神様」を著し、欧米で広く読まれたとされる。この作品でハーンは「津波」を「tsunami」の表記で書き、国際的に認知されるきっかけにもなった。今は各国で使われる国際語である▼政府は東日本大震災の教訓を風化させないため安政南海地震にちなみ、11月5日を「津波防災の日」に定めている。国連も昨年、過去に津波の甚大な被害を受けた日本やチリなど142カ国の共同提案を受け、11月5日を「世界津波の日」と定めた▼きょうは記念すべき第1回の世界津波の日。国連によれば1996年以降、津波災害により21カ国で計約25万人が犠牲になった。この脅威を忘れてはなるまい。
日本は古くから、多くの災害を経験してきており、その対応・対策などのノウハウを数多く蓄積しています。それらのノウハウは、海外にも広く影響を与え、「共助」「公助」に優れていることから、「稲むらの火」の話の元となる「安政南海地震」の日を「世界津波の日」としたのです。
災害が起こらないことにこしたことはありませんが、災害がおきやすい国土であることは間違いなく、常に、その準備は必要なところがあります。この地域では津波による被害はほぼないと思いますが、こういう機会に、過去の事実を知ったり、防災について考えてみたりするのもいいかもしれませんね。
なお、サイト「稲むらの火」を見ると、1937年から国語の教科書に採用された話をそのまま読むことができます。まだこのお話をご存じでない方は、ぜひ、ご覧になってはいかがでしょうか。
■稲むらの火
■世界津波の日パンフレット(外務省)(PDFファイル)
(※画像は、wikipedia「稲むらの火」より引用しました)