古北小 歴史訪問「昭和15年9月5日 古北小初めてのプール開き」
- 公開日
- 2025/02/22
- 更新日
- 2025/02/22
校長室から
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先日、昭和16年に本校に寄贈された胸像の製作に尽力された竹内甚太郎氏のご子息である竹内茂博様が来校されました。同じ昭和16年2月に発行された非売品である書籍を本校に寄贈され、その著書は古北小元校長である岸 延一氏でした。約84年前の書物に感慨深く感じました。
→ 150周年記念ホームページをみて資料を寄贈していただきました②
岸氏の著書には「昭和15年9月5日 プール開き」と書かれた文字がありました。
今回は、当時の様子を『古北のあゆみ』(昭和55年度古知野北小学校PTA編集)から紹介します。
【古北小 初めてのプール開き 昭和15年9月5日】
昭和15年9月5日、多くの来賓や関係者に見守られ、竣工式が執り行われました。当時江南市教育長であった野呂正光氏が模範遊泳を披露され、困難な工事をやり遂げた満足感と万感の思いが入り混じる式典であったと思われます。当時の式典の様子の写真からも、その賑わいが伝わってきます。
(写真)当時の式典の様子
【プール建設の背景】
プール建設にあたっては、様々な困難がありました。当初、勝佐で織物業を営んでいた津田覚重氏から初老記念として寄付の申し出があり、プール建設資金として使わせていただきました。しかし、途中で資金が不足してしまい、高等科2年の生徒たちが約1週間かけて必死に石を運びました。当時の関係者にとっては、苦労して運んだ石の一つ一つに深い思いが込められていたことでしょう。
また、以下のような記述も紹介します。
「物資不足の時代の手づくりのプールの建設は、現代では想像もつかない困難なものであった。鉄はすべて供出して全く使えなかったので、鉄筋の代わりに竹を使いプールの底の基礎には、木曽川から護岸用の蛇籠を借りて使うといった苦肉の策も用いられた(以後省略)」とのことでした。
あらためて、当時のプール建設の苦労が伝わってきます。
※詳細は、『古北のあゆみ』(昭和55年度古知野北小学校PTA編集)に掲載してあります。150周年記念ホームページ内から閲覧可能です。
→『古北のあゆみ』はこちらからご覧いただけます。(29ページに掲載)
【プールの完成とその後】
「名古屋以北の小学校では唯一のプールであったので完成以後は子ども達の水泳の力が上達して、どの学校にもひけをとらず、古北校(当時は古知野北尋常高等小学校)の自慢の一つにもなった」と記されています。
昭和55年に新しいプールができるまで、このプールは古北小のプールとして使われ続けました。
現在も「忘れてはならないこと」として、旧プール記念碑が残されています。
(写真)旧プール記念碑の新聞記事
(写真)旧プール記念碑「忘れてはならないこと」