【校長日記】 興福寺五重塔が25円の理由は?
- 公開日
- 2018/05/10
- 更新日
- 2018/05/10
校長日記
先ほどの解説編です。
興福寺五重塔は、なぜ、それほど安く売りに出されたのでしょう? について考えましょう。
その前に、 あなたは仏教徒? と聞かれたら何と答えますか?
多くの家庭は、檀家制度のもと、どこかの寺院に属しているのではないでしょうか。
この制度は、江戸幕府の宗教統制政策から生まれたもので、特に葬式や法事の時には関係してきます。
この「仏教」とは、歴史的に見れば、外来の宗教 です。
日本には古来から「神道」があり、外来といわれれば当然なのですが、それも1500年近く前の話。ほとんど「外来」の意識はありませんね。
そもそも、「神道」には仏教の「教典」のような具体的な教えがないために、両者は互いに補うように次第に緊密化してきました。
よく「神様、仏様」と一緒にしていませんか?
それを、 神仏習合、あるいは、 神仏混淆(しんぶつこんこう)というのです。
しかし、歴史上では、「仏教」は外来であるが故に、何度も迫害されてきました。
なかでも目立つのは、やはり江戸時代中期以降です。
特に、水戸学といわれる考え方を指導した徳川光圀、いわゆる「水戸黄門」による廃仏は規模が大きく、領内の半分の寺が廃されたそうです。
大政奉還後に成立した新政府は、太政官布告(「神仏分離令」)、「大教宣布」 を出しました。
「神仏分離令」とは、それまで広く行われてきた神仏習合(神仏混淆)を禁止するために出したものです。
「大教宣布」は、天皇に神格を与えたものです。さらに、神道を国教と定めて、日本を祭政一致の国家とする国家方針を示しました。
これらにより、廃仏毀釈運動 、すなわち、仏を廃し(破壊)し、釈迦(釈尊)の教えを壊(毀)す運動が始まったのです。
伊勢神宮のお膝元、伊勢では、慶光院など100ヶ所以上が廃寺となりました。
明治維新を推進した薩摩藩でも徹底され、寺院1616寺が廃されたと記録に残っています。
岐阜中津川の八百津、黒川、蛭川、苗木、坂下地区では、領内の寺院が破壊され、現在でも葬儀や結婚式は神道形式が一般的だそうです。
現在でも影響を受けているのですね。
長くなりました。続きます。
画像は、興福寺HP http://www.kohfukuji.com/about/index.html より引用しました。