2015.11.12 MRJの初飛行に思う
- 公開日
- 2015/11/12
- 更新日
- 2015/11/12
校長室から
昨日、「MRJ(三菱リージョナルジェット)」が無事、初飛行を終えたのは、ご承知の通りです。
特に「航空機マニア」の方に言わせれば、「よくぞ、航空機大国の復活を印象づけてくれたものだ」といったところでしょう。
というのも、性能の良い「ものづくり」が得意な日本は、すでに戦前に、「東京—ロンドン間(約15,000km)を合計94時間で飛行する世界記録を樹立」するなど、世界的にも高性能な飛行機をすでに作っていたのです。
その高い技術力は、残念ながら「戦争」という場面ではありましたが、高性能の「零式艦上戦闘機(零戦)」を開発し、さらに世界を驚かせることになりました。
しかし、敗戦と共に、「連合国軍総司令部(GHQ)」から「航空禁止令(航空機の研究・設計・製造の全面禁止)」により、航空機産業の開発が途絶えてしまったのです。アメリカによる機体の接収や破壊があったというのですから、関係者の思いはどんなものだったのでしょうか・・・。
そんな道をたどりながらも、その後、1965年に国産旅客機の「YS-11」が就航し、復活を遂げるものの、1973年に完成した機体をもって生産を終了。それ依頼、国産旅客機は、しばらく作られることはありませんでした。
しかし、ついに2007年に、三菱航空機がMRJの開発の構想を発表し、昨日の初飛行にたどり着いたのです。
そして、あわせてうれしいのは、地元愛知県から、誕生したということ。トヨタ自動車の燃料電池車「MIRAI」とあわせて、「ものづくり愛知」の力を見せることができたように思います。
そんな「ものづくり愛知」に住む古北っ子は、きっと地元でそれらの企業や製造業に勤めることになる人も多いことでしょう。将来、そんな分野で活躍する古北っ子が現れることを大いに期待したいと思います。
(※画像は三菱重工MRJのサイトから引用しました)